教育面からのアプローチ
かつての戦争において、私たち日本人は「敗戦」を体験しました。
そしてその結果、現在の日本では海外の思想や文化を受け入れることで、確かに発展し、世界中どの国よりも安心・安全で平和な社会を手に入れることができました。
ですが、そのことで、私たちの祖先が大切にしてきた私たち日本人にとって、本当に必要なものまでも軽んじられる様になっているのではないか。私にはそう感じられてなりません。
戦前の教育のあり方
明治時代の日本では「教育勅語」という教育指導方針が、明治天皇より私たち日本国民に対しての訓示という形で示されました。
ここには、
「国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。
そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。」
と、この様な文章が記されています。
改めて現在の日本社会において、ニュース等で話題になる情報に照らし合わせると、本当に耳の痛い思いのする言葉ばかりです。
勿論、かつて正しいと信じられていた常識でも、更に研究が進み、現代においては常識とは呼べなくなっている道徳や教育も確かに存在します。
ですが、それでも大切にしなければならないもの、変えてはならないものもまた、確かに存在するのではないでしょうか。
故きを温(たず)ねて新しきを知る。
守らなければならないものと、時代に合わせて変えていかなければならないもの。
これこそが、私たちの住む松山市において、親から子へ、孫へと伝えていかなければならないものではないでしょうか。