戦後、私たち日本人が失ったものとして、一番大きいのは「大家族」という存在ではないでしょうか。
「親」と「子」だけでなく、時として祖父や祖母、親戚や「ご近所さん」がそれぞれの家庭を支え、支援する体制が戦前、戦後まもなくの日本には存在していた様に思います。
ですが、「個人」の権利が重視されるあまり、社会における「核家族化」が進み、「教育」や「育児」だけでなく、「介護」の分野においてもこれまで「大家族」が担っていた役割を担える存在が失われつつあるのではないでしょうか。
ですが「個性と個性が連携する経済活動の促進」のページでもお伝えしましたが、私は「議員」となってから経験した交流の場において、参加するメンバー一人一人が主役となり、お互いに連携しあう姿を目の当たりにしました。
この様な関係性が有効となるのは、経済における連携だけでなく、「家庭」としての役割も同様ではないでしょうか。
特に「教育」の場としての家庭の役割を担えるのは、何も「父親」や「母親」に限ったことではないと思います。
これまで、「大家族」という場で、祖父や祖母、親戚やご近所さんが担っていた「役割」を、今度は地域の垣根を飛び越え、各個人が積極的に連携を図ろうとする場において、「大家族」と似た役割を持つコミュニティを作ることもできるのではないでしょうか。
父親が忙しくて、中々育児に参加できない家庭では、父親に代わる存在を、母親が家事に忙しくて、育児を過度に負担に感じる場では母親に代わる存在を、一人っ子で兄弟・姉妹がいないお子さんには「兄弟」「姉妹」に代わる存在を、そして中々「子」に恵まれない過程にはその活躍の場を与えられるような関係性を持つコミュニティの形成。
この様な場において、「父親」が「父親」としての役割を、「母親」が「母親」としての役割を、「夫」が「夫」として、「妻」が「妻」としての役割を学ぶ場を築くこともできるのではないでしょうか。
私向田は、「松山市」という社会において、「大家族」と同様に、子供たちの価値観を育み、親たちがその役割を学べる「コミュニティ」を生み出すことを目指します。