社会の礎としての「家庭」
敗戦後、私たちの住む「日本」には、ヨーロッパやアメリカから、先進的な教育文化、および思想が導入され、子供としての「権利」、親としての「権利」、市民一人ひとりの「権利」にスポットが当てられ、私たちが社会生活を営む上での「自由」が確立されつつあるように感じます。
ですが、同様に社会では、親としての役割を担うべき「大人」が、「権利」を重視する余り、本来子供たちに見せなければならない「背中」をないがしろにする傾向が強くなってはいないでしょうか?
父親や母親であるべき人が、そのパートナーや子供に対して暴力を振るったり、子を極端に甘やかし、育児そのものを放棄したりして、本来の「家族」としてあるべき役割を担うことができなくなってしまってはいないでしょうか?
その結果、「離婚」という選択をし、子供たちの将来に対して、パートナーを持ち、家庭を持つという当たり前の姿に「魅力を感じられない社会」にしてしまってはいないでしょうか?
どんなに詭弁を並べ立てたとしても、やはり「教育」の始まりは学校ではなく「家庭」です。
初めて夫婦となったパートナーにとって、「夫」や「妻」としての経験は浅く、お互いに未熟な存在です。
子が生まれ、初めて「父親」や「母親」となった「親」にとって、やはりその経験は浅く、未熟な存在です。
「夫」と「妻」は元々全く異なった環境においてそれぞれの「価値観」を形成しており、時にお互いの「価値観」がぶつかり合うこともあります。
そして「子」には個性があり、時に「親」の価値観の範疇に収まらないこともあります。
ですがそんな時、「夫」や「妻」そして「父親」や「母親」が、どうしようもない感情の高まりを言葉や身体的な「暴力」によってしまうのではなく、それぞれがお互いに「夫」や「妻」、そして「子」から何かを学ぶ姿勢を持つことが大切なのではないでしょうか。
私向田は、親が「親」として、本当に必要なものを学べる場を築いていきたいと考えています。